立春前に降り積もった雪もほぼ溶けて、そろそろ庭のふきのとうを摘もうか、などと思っていたのですが、昨晩から全国的に真冬となり、こちらは50センチの降雪となり今も降り続いています。今冬は重い湿雪が多かったのですが今回の雪は軽く、サラッとしています。それだけ日本海側から流れ込んできている寒気が強いということですね。
窓から木々の新芽に降り積もる雪を眺めていて、ふと実家の羽咋にある気多大社の神事・おいで祭り(平国祭)に参加したことを思い出しました。※気多大社、おいで祭り(平国祭)詳細は文末をご参照ください。
おいで祭りに参加
中学校を卒業し高校の入学式を待つ春休み(?)期間中に、わたしはこの「おいで祭り」に参加しました。わたしが応募したのではなく、父親がわたしの知らない間に応募していたわけで、「18日から気多大社のおいで祭りに行くことになっているから」と告げられ、意味が判らず「はぁん??」。
内容を理解していないわたしは先輩(?)について歩くばかり。当時、わたしと同年齢の人はいなかったように思います。地元のオッサン、大学生が大半です。中学高校は卒業を控えるもの以外は春休み前ですからねぇ。
3月18日から23日まで毎朝5時に起き、6時前に気多大社に集合。毎日40〜50キロを徒歩で巡業するわけです。巡業工程約300キロを雪、雨、風があろうが関係なく歩く、歩く、歩く。吹雪いて顔が上げられない農道も歩く、歩く、歩く。六日間で神社105社、御招待民家101軒で祭典を執り行うというものです。当時、御神輿などは目的地近くまではリヤカーで運んでいたと思います。今は、御神輿、人も軽トラを使っているとかいないとか‥‥。姉が「ありがたみが無くなったわいね」と漏らしていましたが‥‥。
遠方で家に帰られない日が1日ありました。陽も落ちて宿泊先が決まる報告を待つ間、あまりの寒さでコップ酒2杯を一気飲み!腹の中がグワァ〜ンと熱くなる。そこへオッサンが「決まったぞぉ!付いて来ぉい!」と走って来て走って行く。置いてきぼりにならないように、わたしも走る、走る、走る。酒の酔いで道が右に左にグラグラ傾いたり‥‥酒の酔いの初体験!
宿は大きな民家で、夕飯の食卓には同い年くらいのお嬢さんもいらっしゃった。ただご主人がわたしを大学進学を控えた者だと勘違いしておられたようで、燗酒を勧めて来る。当時からわたしは遠慮することを知らないようで勧められるままお酒をいただき、呂律が回らないままお風呂もいただき、疲れと酔いで布団にバタン。そして翌朝からまた歩き始めるのでした。
小春日和があったものの大半は寒風の中を歩いていたものですから、終わった頃には唇はガサガサ!凍傷ですね。その頃はリップクリームなどというものも知らなかったですから。
思い返せば、父親が「少しは大人になれよ」と参加させたのかも。
数日後、折口信夫追悼か何かの企画に詩が入選しました、と小冊子が届けられました。「おいで祭り」のご褒美?応募した記憶もなかったのですが、読んでみて「そういえば、これ書いたなぁ」と思い出しました。詩のタイトルは「埋れ木」。
寒さ厳しき折、皆さん風邪などひかれませんように!
気多大社
気多大社(けたたいしゃ、正式名:氣多大社)は、石川県羽咋市にある神社。式内社(名神大社)、能登国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。旧称は「気多大神宮」。(ja.wikipedia.orgより)
氣多大社Webサイトより
■ 平国祭(3月18日~23日)
別名おいで祭りは、祭神大国主神が能登の国を大変御苦労されて御開拓になった御神蹟を偲び、その神恩を感謝し、広大無辺なる御神徳を仰ぎまつる古式を伝える由緒のある特殊神事です。
おみくじで選ばれた神馬(背に御幣を立て)先導車を先頭に神職(乗馬)、 威儀の物(長柄鎌、順に広矛、社名旗、太鼓、唐櫃、錦旗、四神族)奉持、 祢宜(乗馬)神輿、同台、宮司(乗馬)、献備箱(車)、長持(車)、 宰領(車)、長持(車)、神輿台車(車)順に神職、馬丁、 白丁(宰領、威儀物奉持、神輿かつぐ役)その他(運転手、連 絡係、みくじ係、交通整理員) 総勢六十人行列を仕立て、三月十八日早朝本社を御発輦になり、 関係深い二市二郡(羽咋、七尾市、羽咋、鹿島郡)内を六日間に渡り各地区沿道盛んな出迎えを受けながら御巡行(行程約三〇〇キロ)御駐泊(五泊)、この間御駐憩二〇六ヶ所(神社一〇五社、御招待いえ一〇一軒)で祭典を執行し、三月二十三日夕刻本社に御還幸となります。
全国的に見ても類例のない規模の大きな神幸祭です。
また沿道の人達は、寒さも気多のおいでまでと言い伝え、能登路に春を告げる祭りとして親しみ、神様を迎え春を待つのです。