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桜と森田童子

夙川公園で桜

昨日3月28日、兵庫県西宮市へ納品したものの修繕に行って来ました。
お客様の家の前は夙川公園(しゅくがわこうえん)です。桜の名所と伺っていたので、昼休みに少しばかり散歩してきました。
陽光が降り注ぐ下で散歩しながら桜を見るのは、勤め人時代、東京に出張中の合間に足を運んだ上野公園以来になるでしょうか。かれこれ20年以上も経つんだなぁ‥‥。

夙川公園
夙川公園の桜の開花は5〜6分咲きくらい。花見に来ている人はまだそれほど多くはありませんでした。ベンチや座れる大きさの石もたくさんあり、例えコンビニ弁当であってもここで食べれば良かった!と幾分後悔しました。
一般的に桜の花見の名所とやらは植樹によるものがほとんどであることから花見というものに余り気乗りしないのですが、この日はひねくれずに美しいものを美しいと言える素直な自分も大切にしたいと思いました。さりげない5〜6分咲きの下をポツポツと歩きました。雑音いっぱいの満開の夜桜見物とは違って肌で感じる花見となり、結構満足しました。

小学校の桜

わたしが通っていた小学校は羽咋市の越路野小学校。すでに廃校になって数年が経ちます。小高い山の中腹にあり急な坂道を上がって行きます。その坂道には桜が植えられていてこの季節になると満開の桜の坂が思い出されます。わたしが通っていた頃、隣の小学校が遠足に来ていたことを思うと随分美しい桜坂だったのです。
廃校になった翌年、「あの桜はどうなっているのだろうか?」と思い、実家に帰った際に足を運んでみました。
人の手によって植樹、手入れされていたからこその美しさだったのでしょうか。懐かしいその桜坂は下草が生え放題、枯れ放題。桜の木も朽ち果てているもの、折れて枯れ始めているもの‥‥。何だか自責の念にかられます。
校舎は既に取り壊されて廃材も撤去されていました。中庭と教室南側の花壇も痕跡を僅かに残すのみ。大きく真っ直ぐ伸びた二本のアラスカ杉の一本は校舎がなくなってから運動場に向かって倒れています。今は無き校舎が北風を防いでいたのでしょう。倒れたアラスカ杉を見ていると、動けずに幾世代もの子供達からおいてきぼりをくって泣いたように感じました。

桜坂、
せめて地元の人たちが憩える場所として守ってくれれば、と思うのは、町を出たものの勝手な言い分ですね。

森田童子と桜

高校時代、友人と入り浸っていたのは「レコード屋」さんです。当時のレコード屋さんはギターなどの楽器も扱っていて随分お世話になりました。奥には試聴できるスペースがあり、なかなか買うことも出来ないのに毎日のようにLPジャケットをまるで店員のようにコンコンと見定め、気に入ったジャケットを見付けるとそこで聴かせてもらっていました。レコードを聴くことが目的ではあったのですが、そこで働いているケイちゃん(当時21歳)に会って何気ない話をすることが楽しみで、年上の彼女への叶わぬ恋心のようなものが自転車のペダルを踏ませてもいました。レコードをかけてくれるのはいつもケイちゃんで、わたしの前で事務仕事をしていたっけ‥‥。

そんなある日、森田童子の『GOOD BYE グッドバイ』のジャケットに魅入られて試聴しました。今のように汚れていなかったわたしに染み込んで来ます。もともと単一志向性の性格からでしょう。聴いている時はその詞、曲だけがわたしにありました。レコードを買ってからは毎日毎日針を落として聴き入り、ギターコピーもして学校祭で歌ってみたり、今はなき新宿「ルイード」のコンサートに出掛けたり‥‥。

森田童子LPレコード

わたしの中で学生運動のイメージが作られたのは森田童子からでしょう。大学生になり学生運動に足を踏み入れるのですが、活動そのものが不甲斐なくなってしまっていることにわたしの不甲斐なさも加わり、お情け程度の活動でした。
わたしができたことはシュプレヒコールと「ピラビタール」くらいです。

二枚目のアルバム『Mother Sky』に「春爛漫」という曲が収められています。


桜の花びら 踏んで歩いた
君と肩組んで 熱くこみあげた
春よ 春に 春は 春の
春は遠く
‥‥

大学への通学路沿いに桜が植えられた中学校の校庭がありました。歩道に掛かる枝から舞い散る花びらの下を歩くのが好きでした。
「桜」という言葉から始まる曲だからなのでしょう。桜の季節には毎年頭の中で聴こえています。
久し振りに、カセットテープから聴いてみよう。