カテゴリー別アーカイブ: 覚え書き

2014年3月11日 

東日本大震災3.11から3年となる。震災で亡くなられた方々に、改めて合掌。
復興への取り組みが数多く行われていると報じられているものの、瓦礫が撤去された土地は草が生えているだけか‥‥復興支援住宅建設は阪神淡路大震災3年後と比較して10分の1にも満たないという。単純な比較は無理もあるだろうけれど、被災された方々に一日でも早い復興を。

政府は軍靴の紐を結び始め、ケツを拭ぐえぬ原発の推進を掲げる。「アベノミクス」というのは「安倍のみクス」ッと笑うところから付けたんだろう。ウィーンで震災復興を願い「第九」が合唱された。彼等を見た後に安倍が映し出されると反吐が出る。

2013年 新年の喜び 

2013年正月に届いた嬉しいメール。添付されていた写真にはベビーベッドを使用する可愛い3人姉妹。
「まだしばらくは椅子とベンチにはなりませんよ(^0^)」とのこと。6年間、何の故障も無し!よしっ!!

6年目のベビーベッド
●ベビーベッド
クリ、カツラ(抽斗内部)、山桜(背もたれ<玉杢>、留め具部分)

祖母の死

 2011年4月2日早朝、実家の弟から祖母の訃報を知らせる電話が入る。99歳7ヵ月だった。
 前日の夜、NHKで植村花菜さんの「トイレの神様」を耳にし、祖母の思い出を手繰り寄せていたのは偶然だったのだろうか?
 昼過ぎに実家に着き、静かに眠る祖母の冷たくなった顔を撫でながら号泣する。東日本大震災で涙腺が弛んでいるのだろう。涙が止まらない。
 夜11時過ぎ、金沢駅へ遅れて来る娘を迎えに行く。金沢駅から羽咋に帰る車中、フロントガラス越しに大きな光が彗星のような速さで飛んで行った。爆撃弾を彷佛させる大きさだ。運転してくれている姪の旦那と「今のは何なんだ!!??」 魂というものがあるのなら、それは祖母の魂だったのだろうか?

 葬儀に参列してくださった方々に父は「東日本大震災でたくさんの人が亡くなり、その方達はまともに葬儀も行われないでいる。母の葬儀をまともに執り行うことが出来ることに心苦しさを覚える」 祖母に合わせる手に、重ねて震災で亡くなられた方達のご冥福をあらためてお祈りする。

 高度成長期、父母は寝る間を惜しみ実家の織物工場で仕事に明け暮れていた。姉、弟の3人兄弟を見守り育ててくれたのは祖父母だった。工場を閉めた後、母は家で祖母の下の世話から全て面倒を看ていた。
 葬儀の後、母に祖母の面倒見に感謝とねぎらいの言葉を掛けた。母は「お前達3人を育ててくれたお礼やわいね」 母に初めて涙が流れた。

 この父と母の子で良かった。

2011年3月11日 

桜の風の中で真新しいランドセルたちがキラキラ。
心温められる季節が巡って来た。
この子達に、わたし達は伝えて行かねばならないことがあると思う‥‥
生きる

生きるということ
生きて来たということ
生きているということ

生きていたということ
生きて行くということ
生き合うということ

生きるということ

生ききるということ