夏の終わり
9月2日、工場の前にクロアゲハが舞い降りてきた。コンクリートの上に息絶え絶えの様子。
鱗粉は落ちて翅は傷付いている。夏の終わりを知らせてくれるには悲しいものがある。
しばしわたしのTシャツの上を飛ぶともなく歩くでもなく、また風に揺られて庭の隅に降りて行く。太陽に向かって行けないならせめて花の上にでも、と百合の花弁のとまらせる。百合は好みでないのか、知らぬ間にまた夏の終わりの風に揺られて消えた。
寝屋川市の事件、胸が締め付けられます。「どうして?なんで?」とわたしの中で繰り返されています。平田さん、星野さんのご冥福をお祈りします。合掌。
「どうして?なんで?」が渦巻く昨夜、就寝前に河島英五の「てんびんばかり」が脳裏をよぎり、YouTubeで聴けるかなぁ、と検索したらありました。聴き終わった後「続てんびんばかり」が目に止まりました。今彼が生きていたら、国会議事堂前で拳を挙げて叫ぶのだろう、そう思いました。
レコードは1975年に購入した「人類」(河島英五とホモ・サピエンス)。
以下、「続てんびんばかり (反原発歌詞) 1982年Ver」の歌詞です。
「続てんびんばかり (反原発歌詞) 」1982年Ver
作詞:河島英五
作曲:河島英五
真実は一つなのか
何処にでも転がっているのかい
一体そんなものがあるんだろうか
何も解からないで僕はいる
そしてそれがあるとすれば
何処まで行けば
見えてくるんだろう
そしてそれがないものねだりなら
何を頼りに
生きて行けばいいんだろう
何も解らない 何も解らない 何も解らない
何も解らない 何も解らない
何も解らないで僕はいる
家を出て行く息子がいる
引き止めようとする母親がいる
どちらも愛してる
どちらも恨んでる
どちらも泣いている
友達が殴られて仕返しをしに行った男がいる
その殴った相手も友達だったので
困ってしまった男がいる
偉い人は僕を叱るけど
その自信は何処からくるんだろう
でも もしも僕が偉くなったら
やっぱり僕も誰かを叱るだろう
急病患者は 夜更けの医者に
どれほどすがりつく思いだろう
夜更けの医者も 自分の子供が
病気になってその心は知っているだろう
男はいつでも威張っているけど
どんな目で女を見つめているのだろう
女はいつでも威張らせておくけど
どんな目で男を見つめているんだろう
僕が何気なく呟いた言葉が
君をとっても悲しませてしまった
慰めようと言葉を掛けたら
君は泣き出してしまった
長い間君はとっても
辛い思いをしてきたのでしょう
やっと君を幸せにできると思ったのに
君はもういない
毎朝決まった時間に起きる人の
喜びは何処にあるのだろう
電信柱に小便ひっかけた
野良犬の悲しみは何処にあるんだろう
うちの仔犬は とても臆病で
一人では街を歩けない
首輪をつけると とても自由だ
僕を神様だと思っているんだろう
シルバーシートに 腰掛ける若者は
目の前の老人を
どう思っているんだろう
赤ん坊を抱いて 立ってる母親は
その若者を
どう思っているんだろう
若い母親の おなかの中で
命を閉じた赤ん坊は
どこへいったのだろう
母親と呼ぶには 若すぎた娘は
あれからどこへ行ったのだろう
教科書が泣いてる
歴史の事実が誤魔化され
若者たちが学ぶことは
それはいったいなんだろう
国と国とが争わなければ
平和にならないのだろうか
同じようにビートルズを
くちずさんでる
若者同士が血を流し合って
原子力発電所を
持たなければ
生きてゆけないのだろうか
ゆがんだ草や木や
醜い魚たちに
囲まれて生きてゆくのだろうか
核兵器を持たなければ
自由になれないのだろうか
焼け野原をはだしで駆けてゆく
子供たちがそれを望んだのだろうか
母親が赤ん坊を殺しても
仕方のなかった時代なんて悲しいね
母親が赤ん坊を殺したら
気違いと呼ばれる今は 平和な時
誤魔化さないで
そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは
重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ
誤魔化さないで
そんな言葉では
僕は満足出来ないのです
てんびんばかりは
重たい方に傾くに
決まっているじゃないか
どちらも もう一方より重たいくせに
どちらへも傾かないなんておかしいよ
SEALDsの活動、お母さんたち、弁護士会等の安保関連法案反対デモ、、学者たちの抗議集会等々、わたしは日本の民主主義、平和主義活動を悲観的に見ていました。それだけに胸が熱くなり涙が溢れます。
わたしは、安保関連法案に反対します!
6月の初めに草刈りをしてひと月半。もう次回の草刈りを計画しなければならなくなった。ただ庭に咲いている野の花を見ると、も少し後にしよう、と思ってしまう。小さな可憐な花たちだ。
ネットで花の名前を調べ、ウィキペディアで特徴、分布、生育地などに目を通す。パソコンなどというものが無かった時代、記憶にとどめて図書館で図鑑を広げていたことを思い出す。こちらに越して来てからは図書館は遠くなってしまい、何かとウィキペディアにお世話になっている。便利になったことは疑う余地はない。その分、わたしはウィキペディアに感謝し3年前から月々わずかながら寄付をしている。
詳細は、多くのメディアが伝えている。
わたしは「憲法9条に基づく平和主義」を守れ!と声を出し続けよう!