カテゴリー別アーカイブ: 覚え書き

田植えのG.W.

次の仕事の粗木取りを終え、実家の田植え中はシーズニングとしました。
4月30日から5月6日まで、実家の羽咋へ田植えの手伝いに帰省です。田んぼの規模は数年前から5町もの田んぼに増えていて「なんでやねん?」です。弟を柱としての田植えですが、日常的な世話をする父が高齢で体調もすぐれなくなってきており来年は大幅に縮小するということです。ホッとしています。
今年は好天に恵まれ、順調に済ませることが出来ました。わたしの躰が芳しくないことから姉夫婦に随分と頑張ってもらいました。感謝です。

千里浜海岸

4月30日、海岸を左手に眺めながら「のと里山海道」を車を走らせていると海は静かに凪いでいて少し眺めたくなりました。「高松S.A.」で一息入れながら千里浜海岸・なぎさドライブウェーを眺めます。千里浜海岸
この30年程で海岸の奥行きが大幅に狭まりました。以前は夏場で100m程もあったのに三分の一位になったと地元の友人から聞きました。父は「千里浜の砂は、その先の一宮海岸に運ばれている。一宮海岸の奥行きが随分奥まった。」と言っています。一宮海岸の隣は滝港(母の実家の前)で以前は漁師町でもあり、新鮮な魚介類を「ぼーぼ(魚のこと)いらんかいねぇ〜」とリヤカーでおばちゃんが売りに来てくれ、わたし達は日常的に食すことが出来ましたが、今は海岸が掘り起こされヨットハーバーに‥‥。それが千里浜海岸の縮小と関係するのかしないのか‥‥。

田植え

田植えは1日から5日の5日間で終えました。弟、姉夫婦が田植えをし、わたしは2日間はトラクターで田植えの前の田慣らしです。昨年夏の大雨のせいか平滑であった田んぼの底が柔らかくなっていてトラクターは何度もウィリーし、半クラッチでフロントに掛かる重量を調整しながらの田慣らしでした。


田んぼの一枚の大きさは100m×30mで使う苗のパレットは45〜48枚、1日に植える田んぼの枚数は平均すると4.5枚です。使った苗のパレット総数は880枚!終えたパレットを見ると一挙に脱力します。

山菜採り

5日の午前中は残っていた小さな田んぼには弟が入り、父とわたしは筍とウドを採っていました。午後からは父と弟の3人で蕨を採りに出掛けました。今年は例年より成長が早いようです。すでに開いているものが多かったのですがバケツに一杯程度の収穫です。晩御飯には山菜ずくしで満足満足‼︎ 自然の豊かさに育まれていることを全身で感じます。蕨

志賀原発はここから20km北にあります。尻を拭えぬ原発を進めようとしている政府、電力各社は、この自然を潰す権利など持っていない!次の世代に渡さなければいけないはずだのに‥‥。

巣作り

燕の巣作り夕方帰宅すると例年のように燕が巣作りに躍起です。隣の軒下では雀が子育て中なのでしょう。子雀たちの声が聞こえます。去年は雀たちが燕の作った巣を横取りする争いがあったそうですが、今年はそれぞれの巣で夏を迎えられそうです。

ツツジが満開

長浜に帰って来ると、庭の木々は新緑で満ちツツジが満開となっていました。庭木とツツジ
こちらも敦賀の原発に程近い‥‥。

林檎のコンポート

林檎のコンポート

4月26日(日)、好天気。
いつも工場に入らないと落ち着かないのですが、今日は午前中に作図と木取り表の作成、午後はお日様の下で草むしり!と、昨日決めていました。
工場も家も押入れも、窓、戸とも開けっ放しで空気の入れ替えです。
午後の草むしりはTシャツ1枚! 躰の芯から動きたくなってる感じです! 気持ち良い!!

さてさて、灯油が20リッター残っている!
昨秋いただいた林檎が、新聞紙にくるまれて段ボール箱に残っている!
三分の一は、食べられなくなっていた!(嗚呼!わたしとしたことが‥‥バチ当たり!!)

林檎のコンポート

ということで、林檎のコンポートです。ドアを開けっ放しでストーブを点けているアホなわたしです。
レモンが無く、梅酒と冷凍してあった柚子の千切りと柚子の実をそのまま鍋に入れて煮詰める。イケるッ!!仕上がったら柚子の実とでっかい種ををポイッと。最後はシナモンパウダーを振り掛け完成。
仕事中のおやつに、ホットケーキに挟んでいただくのです。だから、見ての美しさはパスです。

 

鹿、鹿、鹿、鹿、鹿

鹿、鹿、鹿、鹿、鹿です!

昨晩就寝前、星を見ようと二階の窓を開けてみると、庭に5頭の鹿が‥‥
2週間程前には1頭を何度か目撃、1週間前には2頭‥‥
当初は、山に新芽はまだかいなぁ〜。
親子の鹿かいな?? それもまた良いもんだ。
農家の方達や菜園していらっしゃる方に申し訳ないが、動物好きなので仲良くなりたいものだ! などと。

しかし昨晩の5頭は驚いた。うちの庭は菜園でもない。ミントは売るほどあるが喰うものなどないはず(食べた形跡なし)。山にも新芽が出ている時期になったが‥‥

喰えるものがあるなら、教えてくれぇ〜!!!
ハウスものの形だけの野菜は、正直、イヤじゃぁ〜!!

高感度カメラなどは持っていないため、写真なし。ゴメンm(_ _)m

ちなみに、ミントの新芽でTeaを何度か作りましたよ。
就寝前に飲むと、翌朝スッキリ(深酒時にも効果があった!)。
その気になった方はお試しを!<自己責任で!>

桜:奥琵琶湖にて

4月8日、左手開放骨折治療の固定プレート抜去手術のため二泊三日の短期入院をしました。若い人なら6ヶ月程度で行うそうですがわたしは8ヶ月後となりました。外されたチタンプレートは「自戒」のためにキーホルダーに付けようと思います。脱臼骨折の頚椎のボルトは躰のパーツとなりました。
脱臼した両肩を結ぶ横ラインと頚椎の縦ラインは固く十字架を背負っているようです。これからは「十字架を背負った木工屋」です。

手術した左手と外したプレート

奥琵琶湖と桜

4月9日早朝、日が差しています。退院した昨日、奥琵琶湖パークウエイに桜を見に行ったのですが生憎の雨模様で今日出かけることにしました。
以下、奥琵琶湖と桜の写真、写真、写真です。世田谷のPさんが年内にこちらへ来られるとのことで、こちらのページでわずかながら紹介させていただきます。

衝立越しに見る庭の桜

家の中から衝立越しに見る庭の桜です。おまけ。

衝立越しに見る庭の桜

桜と森田童子

夙川公園で桜

昨日3月28日、兵庫県西宮市へ納品したものの修繕に行って来ました。
お客様の家の前は夙川公園(しゅくがわこうえん)です。桜の名所と伺っていたので、昼休みに少しばかり散歩してきました。
陽光が降り注ぐ下で散歩しながら桜を見るのは、勤め人時代、東京に出張中の合間に足を運んだ上野公園以来になるでしょうか。かれこれ20年以上も経つんだなぁ‥‥。

夙川公園
夙川公園の桜の開花は5〜6分咲きくらい。花見に来ている人はまだそれほど多くはありませんでした。ベンチや座れる大きさの石もたくさんあり、例えコンビニ弁当であってもここで食べれば良かった!と幾分後悔しました。
一般的に桜の花見の名所とやらは植樹によるものがほとんどであることから花見というものに余り気乗りしないのですが、この日はひねくれずに美しいものを美しいと言える素直な自分も大切にしたいと思いました。さりげない5〜6分咲きの下をポツポツと歩きました。雑音いっぱいの満開の夜桜見物とは違って肌で感じる花見となり、結構満足しました。

小学校の桜

わたしが通っていた小学校は羽咋市の越路野小学校。すでに廃校になって数年が経ちます。小高い山の中腹にあり急な坂道を上がって行きます。その坂道には桜が植えられていてこの季節になると満開の桜の坂が思い出されます。わたしが通っていた頃、隣の小学校が遠足に来ていたことを思うと随分美しい桜坂だったのです。
廃校になった翌年、「あの桜はどうなっているのだろうか?」と思い、実家に帰った際に足を運んでみました。
人の手によって植樹、手入れされていたからこその美しさだったのでしょうか。懐かしいその桜坂は下草が生え放題、枯れ放題。桜の木も朽ち果てているもの、折れて枯れ始めているもの‥‥。何だか自責の念にかられます。
校舎は既に取り壊されて廃材も撤去されていました。中庭と教室南側の花壇も痕跡を僅かに残すのみ。大きく真っ直ぐ伸びた二本のアラスカ杉の一本は校舎がなくなってから運動場に向かって倒れています。今は無き校舎が北風を防いでいたのでしょう。倒れたアラスカ杉を見ていると、動けずに幾世代もの子供達からおいてきぼりをくって泣いたように感じました。

桜坂、
せめて地元の人たちが憩える場所として守ってくれれば、と思うのは、町を出たものの勝手な言い分ですね。

森田童子と桜

高校時代、友人と入り浸っていたのは「レコード屋」さんです。当時のレコード屋さんはギターなどの楽器も扱っていて随分お世話になりました。奥には試聴できるスペースがあり、なかなか買うことも出来ないのに毎日のようにLPジャケットをまるで店員のようにコンコンと見定め、気に入ったジャケットを見付けるとそこで聴かせてもらっていました。レコードを聴くことが目的ではあったのですが、そこで働いているケイちゃん(当時21歳)に会って何気ない話をすることが楽しみで、年上の彼女への叶わぬ恋心のようなものが自転車のペダルを踏ませてもいました。レコードをかけてくれるのはいつもケイちゃんで、わたしの前で事務仕事をしていたっけ‥‥。

そんなある日、森田童子の『GOOD BYE グッドバイ』のジャケットに魅入られて試聴しました。今のように汚れていなかったわたしに染み込んで来ます。もともと単一志向性の性格からでしょう。聴いている時はその詞、曲だけがわたしにありました。レコードを買ってからは毎日毎日針を落として聴き入り、ギターコピーもして学校祭で歌ってみたり、今はなき新宿「ルイード」のコンサートに出掛けたり‥‥。

森田童子LPレコード

わたしの中で学生運動のイメージが作られたのは森田童子からでしょう。大学生になり学生運動に足を踏み入れるのですが、活動そのものが不甲斐なくなってしまっていることにわたしの不甲斐なさも加わり、お情け程度の活動でした。
わたしができたことはシュプレヒコールと「ピラビタール」くらいです。

二枚目のアルバム『Mother Sky』に「春爛漫」という曲が収められています。


桜の花びら 踏んで歩いた
君と肩組んで 熱くこみあげた
春よ 春に 春は 春の
春は遠く
‥‥

大学への通学路沿いに桜が植えられた中学校の校庭がありました。歩道に掛かる枝から舞い散る花びらの下を歩くのが好きでした。
「桜」という言葉から始まる曲だからなのでしょう。桜の季節には毎年頭の中で聴こえています。
久し振りに、カセットテープから聴いてみよう。